人間関係

自分が嫌いで苦しい…まずは自分をいじめず、認めてあげてほしい

おはようございます。

突然ですが、あなたは自分の事が好きですか?

この記事を読んでいらっしゃるということは、多少なり『自分のことが嫌い』『自分を好きになりたい』『自分は生きている価値があるんだろうか』等のお悩みを抱えていらっしゃる人だと思います。

 

まあ私も子供の頃からコンプレックスのかたまりで、自分のことが嫌いで嫌いで仕方ありませんでした。『いっそ自殺して人生をリセットしたい…』と考えた事も、星の数ほどです。

幸い自分には死ぬ勇気もなければ、身内や他人に一切迷惑をかけずに死ぬ方法も見つけられませんでした。そのため今も生きております。

 

でも詳細は今は省きますが、生きていて良かったですよ。

 

少なくとも、死んだらその後発生した面白い出来事や美味しい食べ物、新しく知り合った友人との関係もなかったわけですし。

まあ長くなりすぎた前置きはともかく。

ここからは過去の自分に対して『死ぬな!生きろ!テキトーでもいいから!』的な事をテーマに、書いて行こうと思います。共感してくれる人がもしも1人でもいらっしゃれば、私はとても嬉しいです。

あなたが自分を嫌う理由は他人の物差しで自分を測ってしまっているから

自分のことがきらい。

幼少期のトラウマや、学校でのいじめ、そーゆーのは特にないけど、気付いたらもう自分のことが嫌いだった…

 

理由は色々あると思いますが、自分のことが嫌いな人も、ホントのほんと、初めから自分のことが嫌いだったわけではないはずです。

赤ちゃんの頃から『自分には価値がない、自分なんて自分なんて…』と悩み苦しんでいた人なんていないわけです。え、いない…ですよね??

眠る赤ちゃんの画像

基本的に自分の無力感や、自分が感じる自分の価値の低さは外部の人間によって植え付けられた洗脳です。たいていは親や学校からたたき込まれた価値観ですね。

他人の価値観、世間の常識…そういった他人の物差しで自分をはかり続けると、自分の軸や芯となる一番大事な物差しを持てずに生きていかなくてはなりません。

 

それっていったい誰のための人生なんでしょうか?

自分の人生の主役は自分じゃないんですか?

 

自分の人生の中で一番大切な存在は自分自身なのに、どうして私たちは他人のものさし(価値観・洗脳・一般常識)で自分をはかって苦しまなければいけないんでしょうか。

しかも勝手に押しつけられた他人のモノサシで。

自分を嫌いでもいい。が、いじめるのだけはやめよう

そんなこと言われても、やっぱり自分のことが嫌いな気持ちは変わらない…。わかります。

他人にどう言われても、自分自身が自分を嫌う気持ちは、なかなか動かしにくいですよね。正直、別に自分のことを嫌いでも良いとは思うんです。

いや、だって嫌いなんでしょう?嫌いな気持ちを無理やり『好きだ!』とねじ曲げようとしたって、根本的な解決にはならないでしょう。

むしろ無理してる分、そのうち反動が来てもっとしんどくなります。

 

ので、嫌いなら嫌いで別に良いと思います。ただ、気をつけて欲しいのは

自分のことを嫌いでもいい。でも自分をいじめる事は絶対にやめよう。

ということです。

いじめっ子といじめられっ子、悪いのは100%いじめる側です

時々、いじめを苦に自殺してしまった子のニュース、見ませんか?あれ、いじめた奴といじめられた子、どっちが悪いと思います?

いじめる側じゃないですか?

なにが気に入らないのか、なにが発端なのかは知りませんが、いじめという行動に出た時点でいじめっ子は加害者です。

 

そもそも『いじめ』『いじめっ子』…この言葉自体がぬるくて違和感を覚えるのは私だけでしょうか。こんな可愛い単語使うから加害者意識が弱い、遊び感覚になっちゃうんじゃないですかね。

まあ私の個人的な意見はともかく、いじめにおいて悪いのは100%いじめた側です。

 

……なのに。

なのにですよ?

なんで人は、自分のことはいとも簡単にいじめてしまうんでしょうか。それも無意識にいじめていたりするからたちが悪い。

自分のことが嫌いで自分に価値がない、と思っている人は意識的にせよ無意識的にせよ、自分で自分をいじめている、苦しめている状況にまず気付いて下さい。

いじめ、ダメ、ゼッタイ。

NG!を知らせる画像

自分いじめをまずはやめて下さい。とりあえず嫌いでも良いです。でもいじめはダメです。

学校や職場で、もしも嫌いな人がいても、別にいじめないでしょ?仲良くする努力は別にしなくて良いんですよ。ただ悪口言ったり無視したりの暴力は振るうなって話です。

他人には当たり前にできるのにね。自分には平気で悪口言ったりしてね。何故だ。悲しいね。

仲間に入れてもらえない自分はダメ人間

私が自分を嫌いだなと感じた一番古い記憶は、幼稚園のころです。おままごとをしているクラスの女の子たちに、自分も入れてほしいと言ったら断られたんです。

とてもガッカリして悲しかったのを覚えています。今思うと、断られた理由は、単純にその女の子たちと面識がなかったのでは?と。

私の記憶が確かなら、その女の子たちとそれまで仲良くした事はない。というか、クラスで仲良かったのは戦隊もの番組が好きだった影響か、男の子ばかりでした。

特に仲良くない子に混ざってほしくなかったのかな?とね。今なら思うんですよ。

 

まあ真偽はさておき、

私の頭の中に残る事実=『おままごとに入れてもらえなくて悲しかった』。

 

それが発端なのか、以降の記憶であるのは

・近所の子供たちの遊びの輪に自分から入れない

・でも仲間に入れてほしくて、その子たちの視界に入る範囲でウロウロする

・声をかけてもらえるまで、必死にウロウロする

……涙ぐましい(泣笑。

 

別に遊びの輪に入れてもらえようがもらえまいが、大人になった今では全然たいしたことではないです。でも当時はまだ世界も狭いし、子供社会の遊びの輪に入れるかどうかは自分にとって死活問題でした。

 

でも、勇気を振り絞って『入れて』と言って断られたら…もう自分自身を全否定された気持ちになって、そんなつらい思いをしたくなくて、声をかけてもらうのをウロウロしながら待っていたんです。

SNSや人間関係で病む

ある種メンタル強かったのでは?とも、今書いてて思うけど(笑。

狭い世界の人間関係と価値観が全てだった

いやほんと、結構長い時間ウロウロしてたんですよ、子供時代の私。15分くらい?

今なら一緒に遊びたいならパッと声をかけて、ダメならとっとと家に帰って自分の好きな事すれば良いじゃん?時間の無駄じゃん?って思いますよ?理論としては。

 

でもそれでも当時の自分にとって、

断られる恐怖の方が、ウロウロして自分の存在をアピールする労力よりも強かったんですよねー…(遠い目。

ウロウロして声をかけられずに終わっても、断られたワケではないじゃないですか(暗に断られてはいるけど。

 

近所の子供たちに声をかけられない(暗に断られる・仲間に入れてもらえない)<<<越えられない壁<<<<<自分から声をかけてハッキリ断られる

右に行けば行くほど、つらくてしんどい。こんな価値観が、子供だった自分の中にはありました。

 

そして今でも正直、物事や人間関係で白黒つけるのが怖くて、受け身の体勢でいる事が私は多いです…。もう大人なのにねえ……(涙。

だから上記で『パッと声をかけて、ダメなら撤収』とかエラソーに言ってますけど、今の大人な人間関係の中でそれが出来るかというと…うーん……ごめん、出来てないかも……。

 

ダメじゃねえか!って感じですが、救いなのは子供時代よりも今の方が人間界の多様性を知り、自分の心に折り合いを付けやすくなった事ですかね。ダメかもしれんが、まあそれもヨシ、みたいに割り切れるようにはなりました。

青空に浮かぶ風船

自分を好きになれなくても、今はそれでいい。

とりあえず、自分の今持っている『自分が嫌い』って感情は元からあったものではなくて、あなたがひたすら愛くるしい赤ちゃんだった頃からの、周囲の大人や人間関係の中で培われた洗脳(悪意がない場合がほとんど)や、ちょっとした考え違い、運とタイミングがかみ合わなかった事が主な原因です。

 

別にあなた自身のせいではないです。

 

でも現実問題、今、自分は自分のことが嫌い。しんどいとは思いますが、私からの提案として、『ひとまずそれはそれでヨシとして』、まずは嫌いな自分の存在を認めてあげて下さい。

そして以下の呪文を唱えてみてください。

・今は、この自分でいい。とりあえず、今はこれでいい。

 

これが抵抗ある人は、もうひとつ別の呪文。

・世界が平和で幸せでありますように。自分も含めて幸せでありますように。

 

心はこもってなくても大丈夫です。とりあえず唱えてみて下さい。特に2番目の呪文は私には効果がありました。

世界(他者)の幸せを祈りつつ、ちゃっかり自分の幸せも祈るという(笑。

 

最終的には自分自身を一番最初に持って来れれば良いんですが、まずは自分を2番目以降に添えて。でも幸せを祈ると。

自分を好きになる前に、まずは自分を嫌いだというマイナス位置をゼロポイントに持っていきたいわけです。

眠る前や、落ち込んだ時、別になんでもない時でも、心の中で唱えたり、メモした紙を眺めたりしてね。効かなくてもまあ、タダだし…、みたいな感じで。気楽に試してみてください。